コラム「紙と生活」
その紙が私たちのライフスタイルの中でどのような存在なのか、また今後どのようになっていくのかをトレンドやデータを元に様々な視点で考察するコラムです。
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百貨店の包装紙 伝統と変遷(後編)
2020/02/28
日本に百貨店が誕生した明治時代から戦後にかけて、各百貨店で使われていた包装紙は、主に「ハトロン紙」という薄茶色の丈夫な西洋紙でした。 現在のような華やかなデザインとは異なり、その見た目は慎ましやかなものだったのです。
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百貨店の包装紙 伝統と変遷(前編)
2020/02/26
華やかで贈答品にふさわしい、百貨店の包装紙。 各店ともオリジナリティーに富んだデザインで、ひと目見ればどの百貨店の包装紙かが分かるほど、それぞれが周知されています。 1905(明治38)年、三越呉服店がデパートとしての営業を始めるにあたって「デパートメント宣言」を発表してから、日本には次々と百貨店が誕生しました。
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さりげない読書のお供「しおり」の楽しさ
2019/08/20
しおりの歴史は意外と古く、西洋におけるしおりの発祥はキリスト教修道院であると言われています。 聖職者たちが聖書に聖衣の一部を挟むようになったことで始まり、次第に金属製のものや布製のものが作られるようになったそうです。
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マッチ箱 小箱に詰まった実用と図案(後編)
2019/02/21
明治37年(1904年)から大正8年(1919年)を、マッチの黄金期と呼ぶそうです。年間の生産量は90億個。このころ、デパートや喫茶店、企業のマッチなど宣伝つきのマッチが続々と登場。銀座 資生堂は大正5年に意匠部を新設。皆がこぞって真似しようとするほど、モダンなマッチ箱を世に送り出したと言います。それをきっかけに、他の企業でも自社で意匠部を抱えるようになってきたのだとか。 また、人々の生活も豊かになった大正以降、鉄道の発達などによって行楽旅行も定着。観光旅館やホテルが建設ラッシュとなり、それと同時に観光名所を記したマッチラベルや、ホテルや旅館のマッチが増えました。ちいさなスペースの中でいかに趣向をこらすかアイディア勝負。今、改めて見ても魅力的なものばかりです。
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マッチ箱 小箱に詰まった実用と図案 (中編)
2018/10/05
デザインの側面からも、マッチの魅力について紹介していきましょう。 神戸港からはじめてマッチが輸出されたのは明治11年のこと。その後、日本の重要な輸出商品の一つとなっていくわけですが、当時は図案にまつわるトラブルが絶えませんでした。というのも、評判のいいマッチがあると知ると、それを堂々と真似て、社名だけを書き換えて販売するという事件が多発。 しかし、その元ネタをデザインした側も、海外のマッチをそっくり真似していたりと、手のつけられない状況だったそうです。
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マッチ箱 小箱に詰まった実用と図案 (前編)
2018/06/04
アンデルセンの代表的な童話のひとつ『マッチ売りの少女』が刊行されたのは、1848年のことでした。 皆さんもよくご存知のように、この物語のあらすじは「雪が降る大晦日の夜、マッチ売りの少女が寒さに震え火をおこすと、幻影が少女の心を暖める」というもの。 実は、わたしたちがよく知る赤い頭のマッチが発明されるのは、この童話が出版されてから7年後のこと。 この時に少女が売り歩いていたのは、フランス人科学者C.ソーリアが発明した、「黄リンマッチ」だったと言われています。 この黄リンマッチ、どこでこすっても簡単に発火するという仕組みから、火事や事故も多かったのだとか。 そんな背景から、1912年に世界的に製造禁止になったといういわくつきの商品でした。
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知っているとご利益がアップするかも?!おみくじの歴史と引き方のポイント
2018/03/22
日本全国津々浦々、多くの寺社で引くことのできるおみくじですが、その起源は実はあまりはっきりしていません。 「くじを引く」ということ自体は、占いの1つとしてかなり古くからあり、奈良時代に書き上げられた「日本書記」の中に、くじと思われるものを確認することができます。 では、現在のようなおみくじの形になったのは一体いつなのかというと、それは江戸時代のこと。 この頃に「みくじ箱の中から、竹串を1本選び、そこに書かれている番号に対応するくじを受け取る」という形式が定着しました。
このおみくじが「おみくじの元祖」とも言われる「元三大師百籤(がんざんだいしひゃくせん)」です。 このおみくじは、一般の人々の間でも大変もてはやされたようで、「百本の御殿へ響く御縁日」(元三大師の縁日の日、おみくじを引く百本の竹の音がお寺の本殿にまで響き渡るほど盛況である)という句からも、その人気ぶりが伺い知れます。 さて、今あるおみくじを大きく分けると、3つのタイプに分類することができます。 1つ目は五言四句の漢詩が記されているおみくじで、先ほど述べた「元三大師百籤」がこれに当たります。 このおみくじは、天台宗の天海という僧が広めました。 この天海は、平安時代の高僧、元三大師を大変尊敬していたそうです。 するとある晩、天海の夢枕に元三大師が現れ、「信州戸隠にあるおみくじを広めるように」というお告げを授けました。 さっそく人を戸隠に送って確かめてみたところ、観音くじが見つかり、それが元三大師百籤として広められることになったという逸話が残されています。 -
子育て、もっと快適に。紙おむつの歴史
2018/01/22
ここ最近の育児トレンドの一つである、布おむつ。 一時は終焉を迎えていたものの、エシカル志向の人たちが先陣となって、手に入りやすくなりました。 しかしその一方で、紙おむつの進化も著しく、赤ちゃんの肌に優しく、多様なニーズにあったものが各メーカーから販売されています。 おむつの語源は「襁褓(むつき)」という言葉。 「強く包む」や「暖かく包む」という意味を持ちます。 おむつが登場したのは江戸時代、大正時代には全国的に定着しました。 当時のおむつは古い浴衣をバラバラにして拵えたものが主で、浴衣が手元にない人は、白い晒で拵えたようです。 大正13年。 婦人雑誌『主婦之友』に、初めて“ワーキングママ”に関する連載記事が掲載されました。 タイトルは「初めて赤坊を持った若き母の為に」。 そこには「近頃は一般に三角おしめの方が便利だといふので、少しハイカラなお母さん方は大抵これを用ひておられるやうです」と書かれています。 三角おしめはこの頃に欧米で流行していた形で、三角形の布をピンで留めるという布おむつでした。 最初に紙おむつをつくったのはスウェーデン。 1940年代半ば、ドイツによる経済封鎖で苦しんでいた政府が、紙を原料におむつを作るよう指示を出したことがきっかけです。 その仕様は、ティッシュペーパーを重ね、メリヤス編みの袋をかぶせた簡易的なもので、上から布で覆って使う必要がありました。 しかし、布と比較すると格段に楽で、洗濯も不要。 母親たちから大きく注目を集めました。 1950年代にはそれと似た形の紙おむつが日本でも販売されていたようです。(画像参照)
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時代とともに形を変える本の歴史(日本編)
2017/12/01
日本に紙が伝わったのは610年頃、高麗の僧、曇徴(どんちょう)がもたらしたと言われています。 それまでは短冊状になった木や竹(木簡・竹簡)に文字を書き記していて、長い文書になるとそれぞれの短冊を糸でつなぎ、巻いて保管していました。 そして製紙法が伝えられると、紙を継ぎ合わせて木の軸に巻きつけ、巻物にしたものが正式な文書として扱われるようになりました。 この巻物の形を「巻子本(かんすぼん)」といいます。 巻子本は、木や竹に比べて保管場所を取らないというメリットはありましたが、ページ数が割りふられていないため、読みたいところを探すのが大変だったり、開いたあとまた巻き直さないといけない、といったところが不便な点でした。 ちなみに、シリーズものの本を1巻、2巻と数える数え方は巻子本からきています。 <8~16世紀頃>和本と木版印刷の基礎を確立 読みたいところをすぐ開けるように、と巻子本の問題点を改善した形が「折本」です。 紙を一定の幅でアコーディオン状に折って冊子にしたもので、今では御朱印帳などにこの形を見ることができます。 しかし折本は何度も繰り返し使用すると、折り目のところから切れてしまうというところが難点でした。 そこで、何枚かの紙を重ねて糊付けしたり、糸で綴じる「冊子」の形が普及するようになったのです。 冊子としてまとめる製本法はいくつかあるのですが、紙を二つ折りにする袋綴じが明から伝わると、その製本方法が明治の始めまで続く和本の基本の形として用いられるようになりました。 さらに鎌倉・南北朝時代には木版印刷術も確立し、次の時代に起こる出版ブームを支えていくこととなります。
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技術の発展とともにある本の歴史(世界編)
2017/11/30
粘土や石に刻まれていたテキストは、やがてパピルスの巻物に記されるようになりました。 そして、この時代に動物の皮を加工する羊皮紙が作られたことで、紙を折り重ねて綴じる現在の本の形態ができあがったのです。 本文は、印刷技術が発明されるまで、写字生と呼ばれる人たちが全て手で書き写していました。 彼らは作業に入る前、本文のレイアウトを綿密に考え、行間や文字の大きさが一定にそろうようにするなど読みやすさへの工夫を取り入れています。 表紙には木が用いられ、湿気を帯びた羊皮紙が波打ってしまうのを防ぐという役割とともに、貴重な本を象牙や宝石で飾り装飾を楽しむという一面もこの頃から持ちあわせていました。 <12〜16世紀頃>書き写しから活版印刷へ 中国で発明された紙がヨーロッパに伝わるのは11〜12世紀頃になりますが、この時代の紙は街でボロ布が集められ、それを原料に作られました。 この製紙法により紙のコストは下がり、製造スピードが上がります。 1440年代グーテンベルクが活版印刷を発明すると、この印刷術はまたたく間に広がり、1480年頃には110以上のヨーロッパの都市に印刷工房が出来上がったそうです。 こうした印刷術と製紙法の躍進により本の生産性は向上しましたが、それでも本は高価かつ貴重なものであり富裕層の持ち物でした。 この時代は印刷されたものを製本屋に持ち込み、好みに合わせて製本するという仕立て方が一般的で、時代を経るに従って、革に細かな模様の箔押しを施すなどした豪華な装丁本が職人たちの手によって作られていきます。 <19世紀頃>産業革命による各種技術の飛躍 産業革命ではさまざまな技術が進歩しましたが、印刷、製紙、製本など本作りに関わる技術もその例に漏れません。 まず、1800年頃に鉄製の印刷機が登場し、印刷速度が向上。 パルプを用いた製紙法も確立されます。 こうして本が何万部と刷られるようになってくると、製本の分野では、本文と表紙を別々に完成させ、中身を表紙でくるむように仕立てる「くるみ製本」という現在主流になっている製本法も誕生して、ようやく本は現在のように「同一の書物に同一の製本が施される」ようになりました。 また、表紙の素材も革からクロス(布)へと移ることで、本の価格がさがり、徐々に本が一般市民にも読まれるようになります。
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プレゼントにもピッタリな「トランプ」の魅力
2017/09/28
室内で遊ぶおもちゃとして最適なカードゲーム「トランプ」。 誰しも一度は遊んだことがあると思います。マジシャンにとっては必需品でもありますね。 今回は、そんなトランプの歴史についてご紹介します。 トランプの起源は、古代エジプト起源説やインド起源説など諸説ありますが、12世紀以前の中国にトランプの一種のゲームがあり、それが欧州に伝わったとされる中国起源説が最有力とされています。 そして、14世紀頃には欧州各地に広まり、日本へは16世紀にポルトガルからラテンタイプのトランプが伝来。 ラテンタイプのトランプのマークは、スペードが剣、ハートがカップ、ダイヤが貨幣、クラブが杖で描かれています。 48枚の札からなっており、「かるた」として広まりました。 日本でトランプとして盛んに用いられるようになったのは、明治時代になってからだと言われています。 実は、トランプという言葉は日本だけの呼称で、英語圏の国では「Playing cards(プレイングカード)」と呼ばれています。 英語圏で言うトランプは、「切り札」という意味です。 明治時代、外国人がこの遊びをしているときに、トランプという言葉を何度も口にしていたことから、日本人がトランプという言葉をカードそのものの名前だと勘違いしたそうです。 それがキッカケで、日本ではカード自体をトランプと呼ぶようになったと言われています。 トランプを使ったゲームの数は数百種類あると言われていますが、大きく分けて2つの種類に分けられます。 1つは、「戦争」などの数やカードの多い少ないを競うゲーム。 もう1つは同じ数字・絵札やシークエンスなどを集めて勝負する「七並べ」や「神経衰弱」などのゲームです。 かなり頭を使うものもあれば、小さい子どもでも簡単に遊べるゲームもあるというところが、老若男女、多くの人に愛される理由だと思います。
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「だるま」を探す旅に出よう (後編)
2017/08/22
全国でつくられていただるまは、日本人の生活に密着したいわばマスコット的な存在。 縁起もののシンボルとして、様々な生活道具にデザインされてきました。 とりわけ「七転び八起き」のイメージからか、風邪薬のパッケージに使われることが多かったと言います。 置き薬で有名な富山県では、現在でも昔ながらの“だるま薬”が入手できる薬局があるようです。 一見怖そうなだるまの表情がなんとも言えません。
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縁起をかつぐ赤い玩具「だるま」(前編)
2017/07/26
赤くてゴロンとしただるま。 実際に持っているという人は少ないかもしれませんが、実家や旅先の土産店などで見かけると、そのなんとも言えない味わいに気持ちが和みます。 だるまは6世紀にインドに産まれ、中国に禅宗を広めた、達磨大師(Dharma)という実在の人物がモデルになってうまれたものです。 釈迦の末裔としてたくさんの伝説が残る人物ですが、そのうちのひとつに、9年も座禅を組んだため、手足を失ってしまったというものがあります。 これがだるまの形状の由来とされています。 だるまといえば、その鮮やかな赤色が象徴的。 これは古くから恐れられていた伝染病、ほうそう(天然痘)を引き起こすと信じられていた「ほうそう神」が赤色を嫌い、赤には魔除の効果があるという意味あいから。 玩具として子どもに与えたのは、 我が子を守りたいという気持ちも込められていました。 実際に達磨大師が赤い服を着ていたかは定かではありませんが、江戸時代以降に描かれる達磨大師の絵も赤が使われています。
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日本ならではの美容アイテム「あぶらとり紙」
2017/04/19
「あぶらとり紙」は、薄い紙を肌にあてると皮脂がとれ、化粧をしたままでも肌がサラサラになるとても便利な美容アイテム。 あぶらとり紙というと、京都のお土産に選ばれる方もいらっしゃると思いますが、ではなぜあぶらとり紙といえば京都のイメージが強いのでしょうか。 今から1200年ほど前。
平安京の時代より、京文化を彩り続けてきた「金箔」。 実は、あぶらとり紙は元々、仏像や屏風などに用いられる「金箔」を製造する過程でできあがる副産物なのです。 「金箔」は、純金の板を手すき和紙の間に挟み込んで繰り返し打ち込み、1万分の1ミリまでの厚さに作り上げます。
この金の板の間に挟み込む和紙が「金箔」作りには重要になるのですが、普通の手すき和紙ではうまくいかないため、「箔打ち紙」と呼ばれる専門の和紙を使います。 これがのちにあぶらとり紙となる紙です。 この「箔打ち紙」は、稲藁から採った灰汁に、卵と柿渋を混ぜ、それを和紙に浸して「アク打ち機」と呼ばれる機械で押したり潰したりを繰り返すことで作られます。 金箔を薄く引き伸ばすために使用され、使い終わった「箔打ち紙」は「ふるや紙」と呼ばれ、これが肌に当てると顔の脂が取れるということが口コミで広まり、高級あぶらとり紙として上流社会の女性や京都の舞妓さんたちにも愛用されるようになりました。 そのために、京都で有名なんですね。 -
照明として、そして祈りを込めて。提灯の歴史と想い
2017/03/03
キャンプファイヤーの前で無心になったり、キャンドルの炎に目が釘付けになったり。 火に不思議と心を惹きつけるものを感じるのはなぜでしょうか。 炊事やお風呂など人間が生きる上で欠かせない“熱”の源でもあり、あっという間にあらゆるものを燃やしてしまう恐ろしさも併せ持つ。 古代の人間はそんな火に崇敬の念を感じ、神話や習慣などを生み出してきました。 例えば、古代には将軍が戦争で勝利を収めると、大きな火で祝うという習慣があったと言います。 この習わしが、祝いや特別な場面で火を用いる由縁。 誕生日ケーキにキャンドルを灯すのも、そこから生まれたしきたりのひとつです。 日本では、たくさんの提灯を掲げながらねぶり歩く「秋田かんとう祭」に代表されるように、夏祭に提灯が欠かせません。 真夏の病魔や邪気を払うためのあかりとして提灯が用いられるのです。 またお盆には「盆提灯」と呼ばれる提灯を飾ります。 これには、故人が迷わないように、そして神様が来るための道を明るくしてお迎えできるように、という意味が込められているといいます。
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浪漫が詰まった書道用紙の魅力
2017/02/15
仕事も、人との交流も、パソコンやスマートフォンでなんでもできてしまう時代。 手書きで文字を書くことが少なくなったとはいえ、美しい文字に憧れを抱くことは変わらないですよね。 とある「働く女性の習い事ランキング」でも、「書道」や「ペン字」は上位に入っています。 書道でまず目につくのはもちろん文字ですが、書道で用いられている「紙」にもかなり奥深いこだわりがあるのをご存知ですか?今回は書道で使われる「紙」の魅力に迫りたいと思います。 書道は、中国から漢字が伝わったことから始まりました。 漢字は約5000年前に中国で生まれたと言われています。 日本で書が発展したのは、奈良時代に写経が盛んに行われたことがきっかけです。 そして室町時代になると様々な流派が誕生し、床の間に書を飾り、鑑賞することが一般的になりました。 さて、まず書道をしようと思ったらどんな道具を思い浮かべるでしょうか。
準備するべき道具は、硯(すずり)、漢字用の大筆、かな用の小筆、下敷き、筆置き、文鎮、そして紙です。 紙の種類はとても多く、書の芸術的表現には紙が重要な役割を持ちます。
紙が作品の善し悪しを左右するとも言われ、書道家は「どんな紙に書くのか」に最も関心を寄せているようです。 -
自分らしい手帳を選ぶ方法(後編)
2017/01/20
Instagramで手帳の中身を投稿している方が増えているのをご存知でしょうか。 ファッションイラストやダイエット日記、育児メモだったりと、その内容はさまざま。 今や、手帳はスケジュール管理という目的だけではなく、自分を見つめなおすためのアイテムに変化していることがよくわかります。 過去のページを見返したり、他人の手帳を覗くことで、「もっと頑張ろう」とか「張り切りすぎかな」と、自分の行動を振り返ってフィードバックすることもできます。 数多くある手帳ブランドの中でも、個性と使い勝手を兼ね備えて、長く愛され続けてきた二つの手帳をご紹介しましょう。 Letts Diary レッツ・ダイアリー
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書き留めて、持ち歩く。手帳が生まれた背景 (前編)
2016/12/15
手帳の魅力とは、やはり予定をぱっと一覧できること、そして、大事なことを手書きで書き残すことができる、という点でしょう。どれだけデジタル機器が流通しても、手書きの美しい文字を見ると魅力を感じるものです。 ある調べによると、スマホ所有率が80%を超える20代が、手書きに対してもっとも好意的な世代だという結果が出たとか。 年末に手帳を買い換えるという習慣は、まだまだなくならなさそうですね。
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ペーパーの種類によって味が異なるコーヒーフィルター
2016/11/25
コーヒーを抽出するときに使用するコーヒーフィルター。 フィルターには布製のネルや金属製もありますが、100 円ショップやスーパーマーケットなどでも手軽に購入することができるペーパーフィルターは、私たちにとって一番身近ではないでしょうか。
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旅のお供に 持ち歩きたくなる「御朱印帳」
2016/10/15
そもそも御朱印集めというのは、神聖な場所として定められた霊場を巡る「巡礼」が原点です。 平安時代後期に始まり、江戸時代中期には「巡礼旅行」がブームになりました。 そして全国各地に霊場・札所が作られていったのです。 巡礼で納経した証に、寺院が朱印を与えるようになり、その朱印を集める専用帳面が「御朱印帳」になります。 御朱印帳は、ノートタイプではなく、蛇腹折りになっているところが特徴です。 御朱印は墨書きしてもらうものなので、墨を吸いやすく、乾きやすいという点から和紙でできています。 また、裏移りを防ぐために二枚重ねになっています。