歴史的視点から辿る絵本の世界~種類や移り変わりを振り返る~【前編】
2024/07/31
幼い頃、多くの人が一度は手にしたことのある絵本。紡がれる物語や登場人物たちに魅了され、夢中になって読み進めた人も少なくはないでしょう。最近では、子どものみならず大人も好んで読む人が増えています。今回はそんな絵本について、前編と後編に分けてご紹介します。前編となる今回は、歴史的視点から絵本の世界を覗いてみましょう。
画像:竹内栄久 画『[お伽噺]』花咲ぢゞい,宮田幸助,明13.12.
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
( https://dl.ndl.go.jp/pid/1167984)
現在のように、絵本が冊子の形状で登場するのは室町時代末期であり、当時は「奈良絵本」と呼ばれていました。巻物の状態から姿を変えた初期の奈良絵本は、文字や絵、表紙の装丁が分業制になっており、なおかつ一冊ずつ人の手で作られていたため限られた人のみが手にできる物でした。ちなみに本に使われていたのは、「雁皮紙(がんぴし)」の一種である「間似合紙(まにあいがみ)」という、薄い半透明の和紙だそうです。主に、襖(ふすま)や書画用紙などに使われています。
その後、江戸時代に入ると、「版木(はんぎ)」と呼ばれる木版用の刷り板に文字や絵を彫り印刷した本の普及や商業出版も始まり、絵本がより多くの層に届きやすくなります。室町時代に誕生した、短編小説『お伽草子』や仮名書きの読み物『仮名草子』などに絵を挿入し本にしたのもこの時代です。また寛文・延宝(1661~1681年)頃には、金銀箔や胡粉(ごふん)を使った極彩色の絵が特徴であり、その華やかさからインテリアや婚礼の際に用いられ、別名「棚かざり本」や「嫁入り本」と呼ばれる奈良絵本も作られました。
画像:横型の奈良絵本
出典:国立国会図書館「国立国会図書館60周年記念貴重書展」
(https://www.ndl.go.jp/exhibit60/)
時とともに、絵本の多様化は進んでゆきます。17世紀半ばになると、「赤小本(あかこほん)」の登場により、徐々に子どもたちにも絵本が浸透し始めます。赤小本とは、「草双紙(くさぞうし)」と呼ばれる絵が主役の本の一種。そのなかでも「赤本」と呼ばれる、昔話を中心に作られた朱色の表紙が特徴的な本を小型化したものです。これらの草双紙は、木版印刷での量産が可能で安価なため江戸の庶民層の手にも取りやすく、その流れから子どもにも普及していきました。ちなみに赤本以外にも、黒本や青本、黄表紙、合巻なども存在します。
そして明治時代になると、「ちりめん本」と呼ばれる、和紙に挿絵と外国語で書かれた文字を木版印刷した後に、ちりめん状のしわ加工を施し和綴じした本が登場します。1885(明治18)年に発刊された「日本昔噺」シリーズがきっかけであり、『桃太郎』や『花咲爺』など日本の昔話や伝説などを多様な言語で翻訳したものです。ちなみに、翻訳は宣教師や教師、大使館職員など来日した外国人が担当し、挿絵は「小林永濯(こばやしえいたく)」や「鈴木華邨(すずきかそん)」などの日本画家が描きました。異国の地の人々の手が加わっているところに、時代の変化を感じますね。その後ちりめん本は、昭和初期まで出版されます。
画像:長谷川武次郎が刊行した「日本昔噺」シリーズの、ちりめん本『浦島』
出典:Chamberlain, Basil Hall(1886) The Fisher-boy Urashima.
Japan, Hasegawa Takejiro, National Diet Library, World Digital Library
(https://www.loc.gov/resource/gdcwdl.wdl_20191/?st=gallery)
この他にも、明治中期になると欧米文学の翻訳絵本が登場したり、末期である明治44(1911)年から大正4(1915)年には『日本一ノ画噺(にほんいちのえばなし)』35冊が刊行されたりと、時代の流れや外国文化の流入によって、新たな広がりをみせます。とくに明治末期は、印刷技術が発展した時代でもあるため、今の絵本により近い出版物が増えた時期でもあります。しかし、このような素晴らしい絵本が世に出る一方で、1910年代半ばから約10年間は時代の顔となるような絵本の出版は少なかったと記録されています。
実は、この絵本の出版数減少の裏には、「児童文芸雑誌」の刊行数増加が関係していると言われています。児童向けの雑誌や単行本、童話集などの出版が増えるほど、その挿絵や装丁の仕事も多くなります。つまり、これまで絵本の挿絵や装丁を行っていた画家たちが、児童文芸雑誌類の作業増加を理由に、絵本関係の仕事を受けられなくなったのです。その後、相次ぐ雑誌の創刊が落ち着き再び絵本に光が当たるようになるのは、昭和に入ってからになります。
『コドモエホンブンコ』や『鈴の絵本』など、シリーズものが続々と世に出た昭和時代。なかでも昭和11(1936)年に刊行された、全203冊の『講談社の絵本』は、鮮やかな色使いに加えて、1つのテーマを1冊で取り上げる「単行本物語絵本」という形式を採用し注目を集めました。しかし、このような輝かしい面もある一方で、昭和の絵本作りは戦争の影響を受けており、作品によっては言論統制などが行われたようです。
その後、第二次世界大戦が終了した昭和20(1945)年になると、出版業界も再スタートをきります。しかし昭和24(1949)年までは、日本を間接的に統治していたGHQ(連合国最高司令官総司令部)による新聞や雑誌などの検閲が行われ、建物も壊滅状態なうえに本の材料も良質なものはありませんでした。そのため当時は、「仙花紙(せんかし)」と呼ばれる古紙を漉き直して作った紙を使っていました。しかし、質が悪いにもかかわらず本や雑誌の売れ行きは好調だったそうです。この現象から、国民がどれほど文芸を自由に楽しめる時代を、待ち望んでいたかが伺えるのではないでしょうか。同時に作家や画家、編集者たちも、これからの日本を平和な国にするために、次世代を担う子どもたちを育てるために、絵本作りに熱を注いだそうです。
GHQの間接的統治も終わりを迎え日本が自らの足で歩み始めるなか、絵本もさまざまな種類が出版されます。とくに注目したいのが、昭和31(1956)年から創刊された月刊物語絵本『こどものとも』です。「月刊」と付いている通り、一か月に一冊絵本を作り世に送り出すという当時は珍しい形態をとっていました。それに加え内容も、絵本=保育絵本であった当時の主流から脱し、本格的な物語絵本を目指しています。一流の作家や画家などを集め、一冊の本としての土台作りを怠らなかったことも、今も愛されている理由だと言えるでしょう。その後『こどものとも』は、日本の絵本作りを先導してゆく存在になり、現在の絵本文化の基盤となっているのです。
巻物から冊子状に変わり、時代背景によって掲載される内容も移り変わってきた絵本。歴史を辿ると、その違いが顕著に表れるため更に興味が湧いたのではないでしょうか。期間限定で、絵本にまつわる展示会やイベントを開催している施設もあるため、気になる方は調べてみてください。そして、後編となる次回は、絵本が作られる過程や紙素材、表現技法などに焦点を当てます。
文・鶴田有紀
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〈参考文献〉
・『松居直と絵本づくり』藤本朝巳 著|教文館
・『日本の絵本の歩み-絵巻から現代の絵本まで』|国立国会図書館国会子ども図書館
https://www.kodomo.go.jp/event/exhibition/pdf/tenji2017-03_leaflet.pdf
・奈良絵本・丹録本|第三部~絵入り本の様ざま~|国立国会図書館開館
https://www.ndl.go.jp/exhibit60/copy3/2naraehon.html
・雁皮紙-がんぴし-|武蔵野美術大学 造形ファイル
https://zokeifile.musabi.ac.jp/%E9%9B%81%E7%9A%AE%E7%B4%99/
・ものがたりの系譜|企画展示|古書の博物館 西尾市岩瀬文庫
https://iwasebunko.jp/event/exhibition/entry-437.html
・日本発☆子どもの本、海を渡る|国立国会図書館 国際子ども図書館
https://www.kodomo.go.jp/anv10th/culture/oldstory.html
・日本の子どもの文学|国立国会図書館 国際子ども図書館
https://www.kodomo.go.jp/jcl/section1/index.html
・占領期GHQによる検閲・宣伝工作の影響と現代日本|久岡 賢治 著|中部テレコミュニケーション株式会社
https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-423k-hisaoka.pdf