娯楽から教育まで幅広く使われていた紙芝居~作品や形式の変化を追う~【後編】
2024/05/20
前編では、紙芝居の歴史についてご紹介しました。後編となる今回は、紙芝居の素材や種類、どのような作品が紙芝居となり披露されているのかに焦点を当てていきます。
画像提供:ヤッサン一座の紙芝居
まずは、紙素材に注目しましょう。一般的に紙芝居は「舞台」と呼ばれる木枠に入れて披露されることが多く、長時間立て掛けた状態で設置されます。加えて、物語に沿って何枚もの紙芝居を入れ替えるためその時生じる摩擦によって本体が痛む可能性もあります。これらを考慮し、印刷にも適しており厚みが特徴のコートボール紙や、建築模型の作成などにも利用されるイラストレーションボード、通常の画用紙より水に強く水彩画にも適した特厚口画用紙など耐久性に優れた紙素材が選ばれているようです。もし、紙芝居を利用する機会があった時は、内容だけでなく素材にも注目し触れてみてください。
紙芝居にどのような素材が使われているのか理解したところで、続いては紙芝居の種類について見ていきます。日本では、街頭紙芝居の誕生から現代に至るまでの間に多種多様な紙芝居が生み出されました。紙芝居を児童文芸や宗教、郊外教育などに活用する人も現れ、それぞれの目的に合わせてつくり始めたのです。そのなかでも、とくに広がりを見せたのが街頭紙芝居から派生した「教育紙芝居」です。
教育紙芝居とは、学校教育や保育、宗教などをテーマにした紙芝居の総称であり、アメリカで宗教教育を学び1931年に帰国した「今井よね」によってつくられました。帰国後、今井は街中で目にした街頭紙芝居に触発され、自身が運営している日曜学校の教材として取り入れたのが始まりです。紙芝居専門の画家に『ダビデ伝』の制作をお願いし、子どもたちに読みきかせたところ興味を示したそうです。それをきっかけに、さまざまな紙芝居を出版したり、会員制の貸し出しサービスを構築したりと教育紙芝居の発展に貢献します。
そして、この今井の活動に影響を受けたのが「全甲社」という出版社をつくり、絵本(絵雑誌)の月刊紙を発行していた「高橋五山(たかはしござん)」です。高橋は、1935年に幼児向けの「幼稚園紙芝居」を発刊。現代でも馴染みの深い『赤づきんちゃん』の他に、『金のさかな』や『大国主命と白兎』などといった、国内外の民話や伝説をもとにした12の紙芝居をつくりました。宗教教育を目的とした今井の紙芝居とは異なり、こちらは保育教材としての役割が主になっています。その後も高橋は『ピーター兎』や『七匹のコヤギ』、『ぶたのいつつご』、仏教紙芝居の『たままつり』など、戦争中期までに37作品を出版したと記録されています。
また、当時郷土教育家であった「尾高豊作」は、自身が設立した「郷土教育連盟」の雑誌『郷土教育』編集部とともに、紙芝居『少年ルンペン三吉』を制作。その他にも、東京帝国大学教育学科の学生であった「松永健哉」が、ソ連初となるトーキー映画『人生案内』をもとに紙芝居をつくり、郊外教育の場で子どもたちに読み聞かせました。このように、教育紙芝居は対象年齢や用途に合わせてつくられていきます。ちなみに、ご紹介したもの以外にも「学校紙芝居」や「幼児紙芝居」など細かく分類しつくられていたようです。
このように紙芝居は、時代の流れにあわせて変化を遂げ私たちの生活に馴染んでいきました。そして前編でもご紹介した通り、現在も紙芝居という日本の素晴らしい文化を絶やさないようにと紙芝居師として活動し紙芝居の魅力を広めている人が存在します。
photo:馬杉真理子
ここからは、実際に紙芝居師として活動している方の話を聴いてみましょう。ヤッサン一座の紙芝居師「ちっち」さんに、紙芝居の魅力や公演時の子どもたちの様子などを伺いました。
ーーまずは、ちっちさんが「紙芝居師になろう」と思ったきっかけを教えてください。
ちっち:一番は、私の師匠である伝説の紙芝居屋「ヤッサン」の存在です。私が命への向き合い方や生き方を模索していた時に、ヤッサンの紙芝居と出会い衝撃を受けました。
ーーどのようなところに衝撃を受けたのでしょうか。
ちっち:ヤッサンと出会うまで、紙芝居は子どもが見るものだと思い込んでいました。しかし、紙芝居というツールを使い、子どもや大人関係なく笑顔や元気を引き出していく姿を目の当たりにして衝撃を受けたんです。そして、ヤッサン独自のやり方はもちろん、観客へ向ける眼差しや根底にある人生哲学に惚れ込み弟子入りしました。
ーーそのような経緯があったんですね。
ちっち:はい。残念ながら師匠は亡くなってしまいましたが、今は亡き師の「いのち輝く紙芝居道」を受け継ぎ、紙芝居という場を全国に届けながら、元気の種をまいている途中です。
ーー全国の人々に紙芝居を届けているとのことですが、どのような反応がありますか?とくに今の子どもたちは、初めて体験する子も多いのではないでしょうか。
ちっち:そうですね。親や先生でもない見ず知らずの大人が突然現れて、拍子木を鳴らしたり大声を出したりするので、なかには驚いて泣きだす子もいます。
ーー驚く子はいそうだなと思っていましたが、泣いてしまう子もいるんですね。
ちっち:はい。でも、自転車の上に載る紙芝居の舞台に目を見開く子や、付いている謎の引き出しから現れるお菓子に興味津々な子もいます。それに紙芝居が進むにつれ、その子たちの笑い声につられて、泣いていた子や興味を示さなかった子もいつの間にか紙芝居に夢中になっているんです。終わった後は、泣いていた子ほど目を輝かせて、いつまでもその場を離れずに嬉しそうにお菓子を頬張っていることもあります。
ーーその場を離れずに、嬉しそうにお菓子を頬張っている。昔の、紙芝居を上演している様子を撮った写真でも見かける光景ですよね。
ちっち:そうですね。だから、その姿を見ると今も昔も変わらないなと思います。私は、演目以外のお菓子やその場の空気もひっくるめて紙芝居だと思っているので、これからもこの光景が見られる場を守り届けていきます。
photo:Waits
ーーここまで、ちっちさんが紙芝居師になったきっかけや、子どもたちの反応を話していただきました。最後に、現代における紙芝居の魅力や必要性について教えていただけないでしょうか。
ちっち:私は、デジタル化や合理化が進む現代“なのに”というより、現代“だからこそ”アナログな紙芝居が必要だと思っています。
ーーと、言いますと?
ちっち:そう思うのには理由があって、それは、紙芝居が多様な可能性を秘めたメディアだからです。紙芝居は絵(静止画)を使うため、想像力を掻き立てられる以外にも、内容を理解しやすいというメリットがあります。だから紙芝居には、言葉の壁を越えて伝える力があると感じています。
ーー確かに、絵から登場人物の心情や物語の流れも読みとれますね。
ちっち:はい。そのうえ演者が絵にあわせて語るため、字を読めない小さな子どもや外国の方にも楽しんでもらえます。年齢や国籍、字が読める読めないに関係なく、多くの人に伝わり届けられるんです。
それに、同じ空間で紙芝居を楽しむことによって、周囲の人々と心をかよわせることもできます。これって、個の時代に拍車がかかる現代において、とても大切なことだと思っています。
ーー昔に比べて、誰かと体験や感情を共有する機会や場も少なくなっていますよね。そう考えると、ちっちさんが仰る通り、紙芝居は現代にこそ必要なのかもしれませんね。
ちっち:そう思っています。そして、これって“紙ニュケーション”のなせる業だとも感じているんです。
ーー紙ニュケーションですか?
ちっち:はい。紙芝居は、演者が自身の肉声で心躍る物語を届けます。観客は、紙芝居を通して生まれた喜怒哀楽により、心が動くのを感じるでしょう。その時、驚いて顔を見合わせたり笑いあったりと、その感情を周囲と共有することもできます。この一連の流れを、紙芝居という「他者と繋がる場」がつくりあげ、演者と観客または観客同士がコミュニケーションをとるきっかけになるんです。
ーーだから、紙ニュケーションなんですね。
ちっち:はい。そして、これは私が紙ニュケーションを通して体感したことなんですけれど、人の温もりに触れると、生きる力が呼び覚まされ心の支えになると感じています。だから、私が抱いたこの感覚を、これからも多くの人と共有していきたいと思っていますし、紙芝居にはさまざまな面白味と力があり、多様な可能性を秘めていると感じているんです。
ーーなるほど。今回ちっちさんにお話しを伺って、現代に紙芝居が必要な理由や可能性を知ることができました。貴重なお話をありがとうございました!
画像提供:ヤッサン一座の紙芝居
古くから多くの人々に愛されてきた紙芝居。その伝統と文化を次世代に受け継ぐために、今も令和の紙芝居師たちが全国各地で紙芝居を届けています。ちっちさんが仰っていたように、デジタル化や合理化が重視され個の時代が進む現代だからこそ、大勢の人と空間や感情を共有しながら楽しむ、紙芝居というツールが必要なのかもしれません。もし、上演している場に遭遇した際は、ぜひとも参加してみてください。きっと、紙芝居の必要性を理解しその温かな空間を体感できるはずです。
文・鶴田有紀
--------------------------------------------------
〈画像提供・取材協力〉
・ヤッサン一座紙芝居師 ちっち
〈参考文献〉
・『紙芝居の歴史』上地ちづ子 著|久山社
・頭紙芝居と教育紙芝居―戦前戦中における紙芝居の展開―|姜 竣
https://ko-sho.org/download/K_023/SFNRJ_K_023-06.pdf
子どもたちの日常に彩を添えてきた紙芝居~その歴史を辿る~【前編】