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子どもたちの日常に彩を添えてきた紙芝居~その歴史を辿る~【前編】

2024/04/30

  • 紙芝居

古くから日本で親しまれてきた「紙芝居」。紙芝居師が広場や街頭を訪れ、子どもたちにさまざまな物語を披露する姿を思い浮かべる人も多いでしょう。今回は、そんな日本に馴染みの深い紙芝居について、前編と後編に分けてご紹介します。前編となる本記事では、紙芝居の歴史に注目してみましょう。

子どもたちの日常に彩を添えてきた紙芝居~その歴史を辿る~【前編】


紙芝居の歴史は古く、起源となるものが確認されたのは12世紀であり、日本で最も古い絵巻『源氏物語絵巻』の中に登場します。「源氏物語絵巻 東屋(一)」と名づけられた絵には、萌葱(もえぎ)色の着物が印象的な女性「浮舟」が冊子形式の物語絵を広げており、側にいる侍女が物語絵に合わせて詞書(ことばがき)を読んでいます。絵を見ながら、誰かが読みあげた物語に耳を傾ける。絵と文が別々になってはいますが、紙芝居に近いものを感じます。しかし、当時は物語絵を楽しめる人は限られており、貴族階級の子女など身分の高い人のみでした。

ですが、この「貴族階級のための娯楽」という考え方は、室町時代以降に「奈良絵本」が登場したことにより変化します。奈良絵本とは、土佐派の絵描きが御伽草子を単純化し描いた絵本のことです。安価で大量に作られた奈良絵本の登場により、まだまだ位の高い人々が中心ではあったものの、さまざまな人が手に取りやすくなりました。そして形式も、巻物の絵をただ裁断した縦長の冊子状から、横長のものへと変わってゆきます。

子どもたちの日常に彩を添えてきた紙芝居~その歴史を辿る~【前編】

画像:謡曲「熊野(ゆや)」を奈良絵本にしたもの。慶長前半頃に製作されたと推定されている。
引用元:国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1288433/1/6

その後、江戸時代に入ると木版印刷が発達し「草紙(そうし)」と呼ばれる書物が出版されました。出版物の中には、絵が挿入された子ども向けの「絵草紙」もあり、安価なため庶民階級の子ども達も手に入れやすかったそうです。寺子屋に通い文字が読める子どもは絵草紙の文章を、読めない子どもは挿絵を眺めて楽しみました。江戸中期には、大きな箱の中に「浮世絵」や「眼鏡絵」を設置し、箱の側面にレンズがはめ込まれた穴から覗く「のぞき眼鏡」や、ガラス板に色鮮やかな絵が描かれた「写し絵」が登場します。写し絵は明治初期まで各地で披露されますが、「立絵(たちえ)」の誕生により衰退していきました。

登場人物を描いた紙に竹串を付け、物語に沿って動かす「立絵」は、紙の人形が舞台で芝居を行うことから、「紙芝居」とも呼ばれるようになります。小屋の中に幕を張り、太鼓や拍子木などを使い効果音もつけられ、多様な演目が披露されました。なかでも「西遊記」や「猿飛佐助」が一般的であったそうです。その後も立絵は、時代に合わせて姿を変えてゆきます。これまで屋内で披露していた立絵が大正時代末期になると、自転車の普及により子どもたちの集まる場所へ移動するようになるのです。加えてこの頃から、観覧料を払うのではなく飴を売り立絵を見せるスタイルが定着していきます。

紙芝居屋は、一見誰にでもできそうな気がしますが、紙人形を操るには高度な技術が必要でした。それに加えて、重い立絵道具一式と飴の箱を持って移動しなければならないため、とても重労働であったことが想像できます。

昭和時代に入ると、1927年の金融恐慌や1929年の世界大恐慌などの影響により、失業者の増加が社会問題になります。そんな失業者たちが、生活を繋ぐために注目したのが紙芝居屋です。紙芝居屋の収入は、決して多くはありませんがその日のうちに確実にお金が手に入ります。そのようなメリットに惹かれ、紙芝居屋になる人が急増しました。その結果、紙芝居の質の低下が起こり苦情も殺到。さらには、飴の販売が原因で飴屋から「営業妨害だ」と非難する声も出はじめ、行政から厳しい取り締まりを受けることになるのです。

このような問題をきっかけに、紙芝居屋の若者たちが動きだしました。高い技術が必要であった立絵ではなく、現在の紙芝居と同じ形式の「平絵(絵話)」を使い始めるのです。背景や登場人物が描かれ、裏面には物語やセリフが載っている平絵は、立絵のような高度な技術を必要としません。脚本の暗記も不要のため、一定の質を保てるようになります。ちなみに当時の平絵は「活劇」「悲劇」「漫画」と3種類あり、「貸元」と呼ばれる業者から借りることが一般的でした。借りるためには会員になる必要があり、借りた平絵は会員たちの間で共有されます。この多様な平絵の登場により、紙芝居の人気はますます高まっていきました。

子どもたちの日常に彩を添えてきた紙芝居~その歴史を辿る~【前編】


しかし、その後、開戦によって人々の暮らしに影響が出始めます。それは、娯楽の1つであった紙芝居も例外ではありません。街頭から紙芝居屋が消え、別の場所で披露されたとしても、登場する主人公が兵隊やその母親になり、物語も道徳的で真面目なものばかりになったのです。これは、当時の思想や社会情勢が強く表れている出来事の1つだといえるでしょう。しかし、終戦を迎えると街頭紙芝居も復活し、戦前と似た平絵が扱われるようになります。その後、紙芝居は教育紙芝居などを生み出しながら現代に受け継がれてゆくのです。

すでに、平安時代には起源となるものが存在した紙芝居。昔のように街中で目にする機会は減りましたが、令和になった現在も紙芝居の文化は生き続けています。なかには「紙芝居師」として活動している人もおり、その腕を競う「ニッポン全国街頭紙芝居大会」という大会も開催されています。機会があればぜひ見学してみてください。

今回は、紙芝居の歴史を辿りました。後編となる次回は、紙芝居の素材や披露された作品などに焦点を当ててお伝えします。


文・鶴田有紀


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〈参考文献〉
・『紙芝居の歴史』上地ちづ子 著|久山社
・『よみがえる昭和こども新聞 昭和21年~昭和37年編』日本文芸社
・昭和の紙芝居~戦中・戦後の娯楽と教育~|昭和館
https://www.showakan.go.jp/
・国立国会図書館開館60周年記念貴重書店 学ぶ・集う・楽しむ|国立国会図書館
https://www.ndl.go.jp/exhibit60/copy3/2naraehon.html

娯楽から教育まで幅広く使われていた紙芝居~作品や形式の変化を追う~【後編】

 

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