書き留めて、持ち歩く。手帳が生まれた背景 (前編)
2016/12/15
スケジュール管理のためのツール、皆さんは何を使っていますか?
スマホの「デジタル派」が主流と思いきや、手帳やカレンダーを選ぶ「アナログ派」の方が、いまだ優勢だそう。
今回は手帳の歴史と背景についてご紹介します。
手帳の魅力とは、やはり予定をぱっと一覧できること、そして、大事なことを手書きで書き残すことができる、という点でしょう。
どれだけデジタル機器が流通しても、手書きの美しい文字を見ると魅力を感じるものです。
ある調べによると、スマホ所有率が80%を超える20代が、手書きに対してもっとも好意的な世代だという結果が出たとか。
年末に手帳を買い換えるという習慣は、まだまだなくならなさそうですね。
手帳の歴史をさかのぼること、江戸時代。
豊臣秀吉が信長の死後に引き継いだ太閤検地がカギとなります。
全国津々浦々、田畑の面積と収穫量の調査を行うため、検地データを書き残していく必要がありました。
そこで役人が持ち歩いていたのが、<手控え帳>と言われるもの。
そう、この手控え帳を略したものが、<手帳>というわけです。
またそれとは別に、俳人や小説家(当時は戯作家と呼ばれていた)、画家なども、思いついた言葉やアイディアを書き留めるために、同じようなものを持ち歩いていました。
使われていたのは、美濃紙を30枚ほど綴じた冊子だったといいます。
手帳という呼び名で製造されるようになったのは、明治維新の後に作られた警察手帳や軍人手帳がはじまりです。
主に心得や法律(法規)が書かれたものだったようです。
警察手帳は<巡査手帳>と名称を変え、現在でも身分証を兼ねて、全国の警官が所有しています。
民間で手帳を作り始めたのは、横浜馬車道にあった文房具店「文寿堂」です。
文寿堂は佐藤繁次郎の手により、1880(明治13)年に設立。
目新しいものを探していた繁次郎さんが目をつけたのが、1862(文久2)年に福沢諭吉がフランスから持ち帰ってきた革の手帳でした。
なんとか日本で同じものが作れないかと職人たちと試作を繰り返し、オリジナルの革手帳を完成。
ちょうど世の中は戦後の活字ブーム、刷ればとにかく売れていた時代です。
文寿堂は飛ぶ鳥を落とす勢いだったそう。
手帳をはじめ、本や雑誌の印刷を手がけ、千数百名の従業員が働く大企業にまでに成長したと言います。
※残念ながら、1950(昭和25)年に倒産、70年にわたる歴史に幕を下ろした。
そこから半世紀以上が経過、現在における手帳はどのように進化しているのでしょうか。
近年の手帳は、もっぱら“プライベート化”が特徴的だと言えます。
そもそも手帳はビジネスツールとして定着したもので、個人的なことを書く習慣がありませんでした。
週末の欄が省略されているビジネス手帳を、皆さんも見たことがあるのではないでしょうか。
今では、仕事とプライベートの垣根なく予定を書き込む人がほとんど。
「忘れたくない事柄を書き留めて、持ち歩く」という手帳の形状を生かし、家計簿や日記として手帳を用いる人もいます。
カレンダー表記すらなく、白紙のみで構成された手帳は、絵を描いたりコラージュが気ままにできると人気です。
とにかく、形式にとらわれず自由であること。
それが一年間、有意義に手帳を使いこなすポイントになるのかもしれません。
文・峰典子
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参考資料:
平凡社大百科事典10 / 平凡社
事物起源辞典 衣食住編 / 東京堂出版
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