懐かしくてかわいい、キャンディーの包み紙(前編)
2020/12/25
どこかレトロで温かみのある、両端をひねったキャンディーの包み紙。
カラフルでかわいいデザインがほどこされたものは、中身を食べてしまっても手元に置いておきたくなります。
今回は、多くの人を楽しませ続ける、不二家「ミルキー」の包み紙の魅力に迫りました。
画像上:現在販売されている「ミルキー」の包み紙
食べ終わった後も、「ミルキー」の包み紙を大切に取っておく―。そんな経験のある人は多いのではないでしょうか。不二家の初代社長・藤井林右衛門(ふじいりんえもん)の「これまで誰も生み出したことのない独特の味を創造したい」という思いから生まれたミルキーは、多くの人においしさだけでなく、楽しさを届け続けています。
不二家は第二次世界大戦後、戦災で唯一焼け残ったボイラー1基を手がかりに、いちはやく工場を再建して水アメと練乳の製造を始めました。このとき林右衛門は、水アメと練乳という二つの材料を結び付けて、新しい製品を開発しようと思い付いたといいます。
幼児を対象としたお菓子で、「ママの味」をキャッチフレーズにするコンセプトは、開発当初から固まっていました。そこには、「戦後の日本の子どもたちに栄養価が高く、母親が安心して与えられるお菓子を」という思いが込められています。母親の愛情を表すようなやわらかい味、母乳の懐かしさを感じさせるようなお菓子を目指して開発が進められました。
画像上:1960年頃の「ミルキー」のパッケージ
2年間で何100種の試作品が検討され、イメージ通りの味が完成したのは、昭和26年(1951年)のこと。
練乳の配合を思い切って増やし、乳味豊かでまろやかな味に仕上げました。ミルクそのままの味を生かしたイメージから「ミルキー」と名付け、パッケージには不二家のキャラクターである「ペコちゃん」と「ポコちゃん」を描きました。
画像上:1968年の「ミルキー」のパッケージ
ミルキーの包み紙やパッケージは、時代と共に変化していきます。
画像上:1979年の「ミルキー」のパッケージ
現在のような花柄の包み紙デザインは、1979年頃に登場。一袋にたくさん入っているので、「色とりどりの包み紙で楽しんでもらいたい」という思いがあったようです。当時は赤青の包み紙のみでしたが、その後、黄緑や黄色も登場しました。
画像上:四つ葉のクローバーが入った包み紙
ところでミルキーの包み紙と言えば、“見つけたらラッキー”と言われる「四つ葉のクローバー」を探すのに夢中になった人も多いのではないでしょうか。このようなデザインは、ただ商品を包むためのものではなく、見つけたら幸せな気持ちになれる遊び要素を包み紙に取り入れようと企画されたもの。
さらに、商品を手に取った人たちの間で、一枚の包み紙の中で顔が切れていないペコちゃんのイラストを10個探す「10ペコ」が自然と広がりました。ミルキーを通して楽しい思い出を作ってほしいという作り手の思いが届き、ミルキーを味わった後も包み紙を集めて楽しむ人が増えていったのです。
画像上:「ミルキー」の包み紙は、現在3パターン
ミルキーは発売当初から現在まで、「ひねり包装」を守り続けています。両端を持って左右に引っ張るだけで簡単に開けることができ、小さな子どもやお年寄りも食べやすいのは、ひねり包装ならでは。手に取る人を気遣う優しさが、ミルキーの包み紙に込められているのです。
文・松尾友喜
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取材協力:株式会社不二家
懐かしくてかわいい、キャンディーの包み紙(後編)