卵からはじまった印画紙の歴史
2016/04/25
写真といえばスマホやデジカメが主流ではあるものの、その反面、若者の間で使い捨てカメラがブレイクしたり、女性向けのカメラ指南本が発売されたりと、フィルムカメラの魅力に惹かれる人も増えてきました。
古今東西さまざまな紙製品にスポットを当てるこの連載。今回は印画紙の歴史に注目してみましょう。
印画紙とは、フィルムから現像処理を行うための写真感光紙のこと。
ですから、印画紙の話を始めるにあたって、写真の歴史に触れないわけにはいきません。
そもそも写真はどのように生まれたのでしょうか。
わたしたちの祖先は、洞窟に刻んだプリミティブな壁画にはじまり、宗教画や肖像画のような写実的なものに至るまで、伝達や記録のために絵を描き続けてきました。
しかし、写真が誕生したことで、目で見えるものをそのまま後世に残す事が出来るようになったのです。
小さな穴(ピンホール)を通った光が、外の景色を映すことは、古代から知られていたようです。
紀元前4世紀に生まれたギリシャの哲学者、アリストテレスも
「隙間や穴を通った光が、太陽の丸い形を地面に投影するのはなぜか」と自問していました。
この原理を芸術家が活用しはじめたのは15世紀のこと。
ピンホールをあけた大きな箱の中に画家が入り、穴からはいりこんだ像をもとに、実際の景色そっくりの絵が描けるというものでした。
画像上:カメラ・オブスクラ。
壁に開けた穴から屋外の風景をキャンバスに映し出す
この仕組みを利用し発明されたのがピンホールカメラです。
現存する最古の写真と言われているのは、1827年、フランス人のニエプス兄弟の手によるもので、道路のアスファルトを感光材に、8時間(!)もかけて撮影されました。
しかしこの方法は銅版に焼き付ける方法のため、たった一枚限りしか残らないものでした。
時計の針をすこし進め、ところ変わって舞台はイギリスへ。
貴族、ウィリアム・フォックス・タルボットは、趣味の絵画をきっかけにカメラに興味を持ち、科学者の協力を得て、世界初のネガを発明。
硫酸銀を塗ったガラス板にネガ画像をつくり、繊維のある紙に複製させることに成功します。
彼が1844年に出版した『自然の鉛筆』は、世界最古の写真集と言われています。
印画紙が登場したのは、1850年ごろのこと。
この頃主流だった印画紙は、鶏卵紙と呼ばれるもので、感光材であるハロゲン化銀を紙にくっつけるための接着剤として白身を使ったもの。
私たちからするとなんだかユニークに思えますが、古い英国の鶏卵紙のハウツー本には、余った黄身を使ったチーズケーキのレシピまで載っていたそうです。
鶏卵紙に現像した写真の特徴は、ほんのり茶色がかったセピア調で、素朴でやわらかい雰囲気。
卵の成分が、空気から画像を保護する役目も果たしているものの、紙が非常に薄くもろいため厚紙に貼られて鑑賞されていました。
原料の安い鶏卵紙は日本でも写真館を中心に広く普及し、1890年ごろまで盛んに製作されていました。
画像上:タルボットが撮影した写真集『自然の鉛筆』の1ページ
The Metropolitan Museum online database
現在使われている印画紙は主に2種類。
ひとつは、バリウムと呼ばれる金属質を乳化剤に混ぜて塗ったバライタ紙。
キメが細かいため、美術館などで展示される写真のほとんどにはこのバライタ紙を用います。対して、現像時間が短く、一般的に用いられているのが、プラスチックで樹脂膜をつくったRC紙と呼ばれるものです。
自宅でプリンターしたものと、暗室で印画紙に焼き付けたものと比較してみると、やはり印画紙の方が美しさに格段の差が生まれます。
印画紙の特徴は、黒は真っ黒に、白は真っ白に表現でき、色の幅が広いこと。
紙そのものの材質にも違いが。
印画紙は光沢がありすべすべしています。
プロでなくとも、街の写真屋さんで「印画紙仕上げで」と伝えることで現像が可能です。
とっておきの写真は、美しく残しておきたいものですね。
前述の通り、最初の写真集とされているタルボットが著した『自然の鉛筆』は、24枚の写真が丁寧に台紙に貼られたもので、世界に15部しか現存しません。
写真の歴史においてとても希少な本だと言えるこの一冊を、デジタル技術で鮮やかに蘇らせた本が、日本語版として発売されています。
機会があればぜひご覧ください。
文・峰典子
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参考文献
『世界写真史』美術出版社
『世界の写真家101』新書館
『自然の鉛筆』赤々舎