縁起をかつぐ赤い玩具「だるま」(前編)
2017/07/26
日本を代表する縁起グッズといえば、だるま。
今でも日本全国で作られているという、その背景を調べました。
信仰のモチーフだった赤いだるま
赤くてゴロンとしただるま。
実際に持っているという人は少ないかもしれませんが、実家や旅先の土産店などで見かけると、そのなんとも言えない味わいに気持ちが和みます。
だるまは6世紀にインドに産まれ、中国に禅宗を広めた、達磨大師(Dharma)という実在の人物がモデルになってうまれたものです。
釈迦の末裔としてたくさんの伝説が残る人物ですが、そのうちのひとつに、9年も座禅を組んだため、手足を失ってしまったというものがあります。
これがだるまの形状の由来とされています。
だるまといえば、その鮮やかな赤色が象徴的。
これは古くから恐れられていた伝染病、ほうそう(天然痘)を引き起こすと信じられていた「ほうそう神」が赤色を嫌い、赤には魔除の効果があるという意味あいから。
玩具として子どもに与えたのは、 我が子を守りたいという気持ちも込められていました。
実際に達磨大師が赤い服を着ていたかは定かではありませんが、江戸時代以降に描かれる達磨大師の絵も赤が使われています。
農家の副業として大量生産された
縁起物として日本全国に発展しただるまは、素材や形、表情もさまざま。
高崎だるま、白河だるま、越谷だるま、というように地域名を冠した名称で呼ばれることが多いようです。
その中でも全国生産の約8割を占めるという高崎だるまは、眉毛が鶴、髭は亀と松という、おめでたいデザイン。
乾燥した群馬の気候がだるま作りに適しているため、農家の冬の副業として広く作られるようになりました。
伝統的な製法は、だるまの木型に水で濡らした張子用の和紙を、一枚一枚ていねいに糊で貼りボディを制作。
胡粉(貝の粉末)を下地に塗り、その後に刷毛で赤色を塗っていました。
現在では、紙をドロドロに溶かした機械にだるまの型を入れ、取り出して天日で乾かし、塗料もスプレーで吹き付けることが多いようです。
簡易化されてきただるま作りの工程ですが、今でも手作業で行われるのが顔描き。
愛情を込めて、白目、鼻、口、そして願い事である「家内安全」や「福入り」などの文字を描き加えて仕上げます。
七転び八起き、縁起かつぎ
高崎市でだるまが愛されたのは、蚕農家が多かったことに由縁があります。
というのも、蚕は脱皮を何度も繰り返す生き物。
その様子を観察してみると、ビクともしなかった殻から目を覚ますように突然動き出すのだとか。
まるで七転び八起きで起き上がるだるま「起き上がり小法師」にそっくりだと、願掛けに用いられるようになりました。
養蚕場の神棚には、商売繁盛を願って起き上がり小法師が供えられました。
後編では、ハイセンスでお洒落なだるまの楽しみ方を紹介します。(続く)
文・峰典子
--------------------------------------------------
参考書籍:
「豊かな暮らしを願う郷土玩具」 くもん出版
関連記事
「だるま」を探す旅に出よう (後編) >